漆喰のひとかけらを

本にアートに東京北景などなど

【音楽】シリウスの心臓、アルルの花

(約2200字)

 

 

YouTubeMusicさんが、時々、傘村トータさんの歌をLuciaさんがカバーしたやつを僕に勧めてきます。なぜか原曲じゃなく。
本日、そのコンビ(?)に2曲目の僕的スマッシュヒットを決められたので、記録してみます。音楽関係の記事が続いちゃいますが。

 

 

2曲目から行きます。


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原曲はこちら↓


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ヰ世界情緒さんの原曲、入りではフレーズごとに発声が区切られてて、若干のたどたどしさ・女の子っぽさすら感じるのだが、サビを迎えてから声が伸びる伸びる。
声に迫力が加わって、箇所によっては少し怖さすら感じる。神秘的。こんな声あるんですね…という感じ。
対してLuciaさんの方は、全体的にしっとり。何だろう…神秘的な原曲が『受肉』したとでも言えばいいんだろうか。人間らしく、大人の女性らしい声・歌い方、という感じがします。


絶対的というか、絶望的な距離に隔てられた愛する人を想って歌う曲、というのが僕の印象。
あんまり具象的な言葉にすると艶消しですけど、正直、死別した恋人*1に殉じる気持ちを詩にしたとすら思える(というかそういうふうにしか僕には読めない。*2)。
「あたしもいずれ*3そっちに行くからね、待っててね。」、と。*4

声質は違えど、お二方の抑制された歌い方がかえって抉ってくる。


『抑制』。
そう、この曲、おそらく歌詞の詠み手が一番相手に伝えたいであろう気持ちを、敢えて言葉にせずモールス信号にする、という凄いことをしている曲です。

・・ ・―・・ ―――
・・・― ・ ―・―― ―――
・・―

モールス信号の解読ができるサイト(https://www.benricho.org/symbol/morse.html)なんかもありますので、試してみるのも一興かと。
ご賢察どおりの言葉です。

「明かりになったあなたの心臓は点滅するかしら」
という歌詞がありますが、このモールス信号と星の明滅のイメージが重なって、切実な叫びに脳内変換される。
「星になったあなたの声を、もう一度聞きたい」、と。

ところで、何でシリウスなんでしょうね。
「あなたは全天で一番明るく輝く星」、という趣旨かな。
連星なのも関係するんですかね。
「あたしもそっちにいったら、また隣にいさせてね」、と。

そうだとすると、タイトルの『シリウスの心臓』って、逝ってしまった相手じゃなく、詠み手のほうの心臓って解釈の余地もあるのかな。

 

 

 

 

さて、1曲目。


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原曲はこちら↓


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どうも(Luciaさんのカバーレパートリーがある)傘村さんの曲の中では、僕、暗喩的な歌詞の曲を好むらしい。

 

で、正直、この『アルルの花』に関しては、『シリウスの心臓』以上に何とも難解というか、よく分からない。少なくとも人様に説明できるほどには咀嚼できてない。
詠み手は、
「あたし、手を離してしまった」
「爪を研いで待つ不幸の元へ あなたをひとりでやってしまった」
ことを思い出し、
「あたし、あなたを愛してよかった?」
と自問する。
よって、多分こちらも、もう戻らない「あなた」を想って歌った曲なんだろうとは思う。

…ここで、「アルル」。
Wikipediaページはこちら

アルル(フランス語: Arles、オック語プロヴァンサル方言: Arle)は、南フランスのプロヴァンス地方にあるコミューン。同国内最大面積を持つ。住民の呼称はアルレジャン(Arlésiens)と呼ばれ、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画などの題名に用いられている『アルルの女(l'Arlésienne)』はこの女性単数形である。

 

このとおり、地名です。
で、これはもう完全な僕の主観なのですが、僕の中で、アルルと言えばゴッホなんですよね。一連の『ひまわり』作品を描いた場所でもあります。

ゴッホの絵は、彼の生前は評価されませんでした。
それでも絵を描き続けた彼は、30代半ばのあるとき、アルルという南仏の町に魅了され、パリからそこに移り住みます。当時の画家仲間に声を掛け、アルルに画家たちの共同体を作ろうとします。しかし、彼らは来てくれない。ただ一人、ゴーギャンを除いて。
しかも、そのゴーギャンともわずか2か月足らずで不仲に陥ります。
そのような中、ゴッホが自分の耳を自分で切り落とすという事件、俗に言う『耳切り事件』が発生。彼はアルル市立病院に収容されることになります。

絵は売れず、仲間たちは待てども来ず、唯一の賛同者とも仲を違え、いかなる理由からか、自傷行為の奇行に至った。そういう、ゴッホが落ちた内なる地獄と、「爪を研いで待つ不幸」、
そんなものが待っているとは知らず、新天地を夢見て街を飛び出した男、
その新天地、アルルに咲き誇っていたであろうひまわりの花、
この曲を聴いていると、そういうののイメージが重なります。*5
そしてもし仮に、街を飛び出した男に恋人がいたとして*6、彼女は、
"自分の恋人である男を不幸の待つ地へと誘ったアルルの花=ひまわり"
を、どう思って、一人の日々を過ごしたであろうな、と。

 

 

 

 



ふう。

以下蛇足です。


シリウスの心臓に関して。
 死別した恋人を想って歌う曲かもしれない旨上述しました。
 『死別』がテーマの曲って、僕の知る限り、J-Popにはあんまりないのですが、数少ない例外の1つがこちら↓。
 今回はこれもLuciaさんverで行きましょうか*7
 


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 こちらは、詠み手と相手の立場が逆。同じストーリーのアナザーサイド、表裏一体の物語と思って併せて聞くと、味わい深いかもしれない。*8
②アルルの花に関して。
 僕のアルルに関するイメージを固めたのは、↓の中に入ってる『『ひまわり』の黄色い囁き』という短編。
 

 

 短編ではあるが結構なボリュームがある。150ページ超。
 御倉瞬介シリーズは大好きなのだが、肝心の『システィーナ・スカル』をまだ読めていない…。

 

 

 

 

 

*1:「目を閉じるのは泣きたいから 風を読むのは少しでも近くに感じたいから」とか。

*2:織姫彦星みたいな星と星の恋…という線もなくはないのかもしれないが、「明かり『になった』あなた」って言ってますからね。もともと星として生まれた存在なら明かり「になった」とは言わんだろうし、僕としては同解釈には左袒し難い。

*3:あるいは「もうすぐ」だろうか。「少しでも早く」って言ってることを考えると。

*4:「明かりになったあなたへ 宇宙に届くまで待っていて」とか。

*5:繰り返しますが、完全に、僕の主観です。

*6:ゴッホにそういう恋人はいませんでしたので、これは歌詞世界のイメージの話です。念のため。

*7:映像が女性と女性なのは、原曲「が主題歌だった映画に」忠実ですね。僕はあの映画の原作改変には否定的立場ですが。

*8:『天体観測』と『君の知らない物語』みたいな。ああ、『君の知らない物語』。

【音楽】月詠みさん、HACHIさん、湯木慧さん

(約2000字)

 

 

 

今月初めにひどい風邪をひいて、数年ぶりかというくらいえげつない目に遭いました。
いやまぁ数日間寝込んだだけですが、かなりキツかったです。*1

で、体調崩すと、寝込んでる間もさることながら、その後の仕事のリカバリーがまたしんどいですよね。それをこなしてちゃんと日常のリズムを取り戻すのに半月とかかかったりする。
ここ数日で、ようやくそこまで辿り着きました。


今日は、ここ数か月の間に好きになったアーティストさんのことを書いてみることにします。
もう、完全に気分転換・発散。

 

 

 

 

月詠みさん


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今さらながら初めて、ボカロ=VOCALOIDのことをちゃんと知りました。初音ミクさんのお名前はもちろん知っていたのですが、VOCALOIDという一般名詞がここまで普及していたことにつき、お恥ずかしながら認識が欠けていました。
月詠みさんは、そのボーカロイドで楽曲を創作する人、ボカロP(プロデューサー)*2
曲調概ねアップテンポ、早口で歌詞の情報量多めです。


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一つのストーリーに沿った複数の曲を作ってこられたそう。ご本人は「一つの物語として連なる音楽」という言い方をしていらっしゃる。*3
そのファースト・ストーリーの締めくくりが、冒頭の『月が満ちる』というアルバム。
ちょうどこのアルバムがリリースされる直前くらいのタイミングくらいで聴いて、好きになりました。
歌詞のナイーブさと荒々しさが不思議なバランスとってるアーティストさんですね。少し若々しすぎる気もしますが、そこもいい。

 


HACHIさん


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こちらはバーチャルシンガーさん。
この用語には少し混乱があって、①歌うVtuber的な人を指す場合と、②上記のVOCALOID、つまりは音声合成ソフトウェアに対する呼び名である場合とがあるらしい。よく知らんけど。
HACHIさんはもちろん①で、ネット上で見られるキャラがバーチャルだというだけで、歌自体は地声で歌っていらっしゃる方。
何というか、声にすごい奥行きがあって、聴いててホッとしまs。


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これは1stシングルのPiano verなのですが、静かな雰囲気に声が染み入ってくるイメージで、僕は通常verよりこちらの方が好きです。
「間違い?正解?だけど進む」
のところとか、響くなぁ、聴かせるなぁ…という感じ。
2ndにしても、個人的にはAccoustic verが好み。


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声が好きで聴くって、実は初めてかもしれない*4

 


湯木慧さん


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『存在証明』はどこかしらで耳にした記憶はありましたが、今回、この人の・こういう歌詞の曲だ、という認識下で初めて聞きました。
本格感溢れるジ・アーティストさんだな…という印象。
で、『スモーク』を聞いて、YouはShock状態。


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いや、ギャグ抜きに衝撃を受けました。重い。
特設サイトがありますが*5、もうコメントから違うよ。言語化能力が凄すぎてこっちの批評能力が追い付かないよ。

モノが燃えて灰になるまでの間で
生み出される煙のように

自分と他者、
人間と人間、
過去と未来、
理想と現実、
そのどちらでもないという曖昧なモノ、
それらの間で
生み出される煙のような感情を
作品にしました。

 

歌詞も映像もいちいち刺さる。

抽象的な意味での「死と再生」がテーマだと思うが、単に『再生』して終わりじゃない、そこからも葛藤はずっと続いていくし、そもそも再生の土台自体が間違っているかもしれない*6、いつかまた崩して燃やさなきゃいけなくなるかもしれない*7
それでも踏み出すんだ、そこに人が人であることのキツさと強さがあるんだ、という曲だと受け止めた。
改めて、重い。ずっしり重い*8

もちろん、素晴らしい曲だと思う。あらゆる意味で。

 

 

 

 

 


以下番外編。

凛として時雨もTKも、こちらはもともとずっと好き。


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竜巻いて鮮脳以来。相変わらず、345さんの声とベース、ピエールさんの打ち込みが揃った安定感が凄い。


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こちらは逆に、これまでと曲調の方向性が、違いを言語化するのが難しいが、だいぶ違う。まぁMVの雰囲気的に一目瞭然と言えばそうだけど。
で、それだけに最初は今ひとつ、こう、聴き慣れない感じがしてたのだが、だんだん耳に馴染んでくるにつれて一気にハマってくる中毒性がある。

 

 

 

 

 

*1:ちなみに未だにコロナ未体験。

*2:初めは女性だと思っていました。

*3:https://twitter.com/yurryCanon/status/1558068352362647557などご参照。

*4:歌詞至上主義の狭めな聴き方してきたからなぁ、我ながら。

*5:超かっけえ…。

*6:「正しさ、なんて誰にも分からない」

*7:「たとえ、分からなくなる日がきても」

*8:重すぎて、今日現在、特設サイトにある他の曲をまだ聴けていない。

【小説】獣の奏者

(約800字*1

 

 

 

 

 

僕は長いこと北区の田端に住んでいたのですが*2、JR田端駅のアトレ2階にあったTSUTAYA書店で昔、この本が平積みになってたのを覚えてます。
この間、同駅に行ったら、TSUTAYA書店、撤退しててショックでした…*3


何か一区切りつくと長編が読みたくなる性格なのですが笑、今回、ふと意識の底から上がってきたのがコレでした。
一気にバーッと読みました。

 

 

全4巻という前提で読み始めたので、Ⅱ巻の終わりが
「終章 獣の奏者
となっていて「えっ?」と思いました。
あとがきによると、もともと二巻で終わるはずだった*4、というかいったん終えたお話だったんですね。
確かにⅡのラストはすごくきれいに決まっている。

 

…けど、個人的には、これ、エリンとリランの絆って形でミクロに収斂させ過ぎじゃなかろうかと思う。
僕は今の全四巻の終わり方のほうがしっくり来ます。
神王国のあり方、闘蛇と王獣の関係とその後まで書き切られてるし*5、何より、物語冒頭のソヨンの行為の意味諸々がきっちり回収されている。


しかし、Ⅱ巻もⅣ巻もそうですが、最後に怒涛の
「えええええ、そうなるの!!?」
を入れてきますね、作者上橋先生。
もちろん良い意味ですよ…と言いたいところですが、Ⅳ巻の方のはけっこうダメージ喰らっちゃう感じの、ショックな展開でした。

 

 

 

 

 

ところで、たしかほぼ同じ時期に書店に並んでたと記憶してるのだが、貴志祐介さん『新世界より』といろいろ共通点があって面白い。終わり方はある意味対照的だが。
文庫本表紙も、どちらもキレイですよね。




両方とも、そこそこのボリューム感 笑
アニメ化されたところも一緒ですね。

いつか比較するレビューも書いてみたいけど、時間、ないだろうな…。

 

 

 

 

*1:そうそう、このくらいの分量感だよ自分。これくらいなら気楽に更新できる 笑

*2:2003,4あたり~2017

*3:ドラッグストアになってました。

*4:「『獣の奏者』<闘蛇編><王獣編>の結末は、この二巻で完全に閉じています。」(Ⅱ『王獣編』p461)とのこと。

*5:スケールの大きな話がどこに落ちるかまで見極められるのは、ファンタジーの大きな醍醐味じゃないですかね。

【資格試験】FE試験その1

(約4,800字、ただし条文込み)

 

 

 

 

試験を受けていました。

 

 

 

ああ今年も終わっちまうなぁというタイミングで半端ながら告白しますと、今年は諸事情であまり*1本業に時間を充てられませんでした。

そんで春頃だったか、

 

「じゃあいっそ割り切って他のこと勉強するか」

 

と思った次第で、つい先日まで、ちょっと重めの試験(1次・2次)と、そいつの1次が終わったあたりからFE試験の勉強が並行して走ってました。

前者については日を改めて書く(かもしれない)として*2、本日は後者=FE試験の話を書いてみたいと思います*3

 

それにしても、うまくいかなくてもどかしい系のストレスがかかると太りますね…。

 

さて。

FE試験=基本情報技術者試験

 

 

試験概要①

ウィキペディア先生によると、「情報処理の促進に関する法律第29条第1項に基づき経済産業大臣が行う国家試験である情報処理技術者試験の一区分」らしい。

根拠法、今初めて知りましたよ。条文見ておきましょうか笑

情報処理の促進に関する法律

第1条

この法律は、電子計算機の高度利用及びプログラムの開発を促進し、プログラムの流通を円滑にし、情報処理システムの良好な状態を維持することでその高度利用を促進し、並びに情報処理サービス業等の育成のための措置を講ずること等によつて、情報処理システムが戦略的に利用され、及び多様なデータが活用される高度な情報化社会の実現を図り、もつて国民生活の向上及び国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。

第29条

Ⅰ:経済産業大臣は、情報処理に関する業務を行う者の技術の向上に資するため、情報処理に関して必要な知識及び技能について情報処理技術者試験を行う。

Ⅱ:経済産業大臣は、機構に、情報処理技術者試験の実施に関する事務(次項及び第51条第2項において「技術者試験事務」という。)を行わせることができる。

Ⅲ:第10条第2項及び第11条から第14条までの規定は、情報処理技術者試験及び技術者試験事務について準用する。この場合において、同項中「前項」とあるのは「第二十九条第二項」と、第十一条(見出しを含む。)中「支援士試験事務規程」とあるのは「技術者試験事務規程」と読み替えるものとする。

Ⅳ:前三項に定めるもののほか、情報処理技術者試験に関し必要な事項は、経済産業省令で定める

情報処理の促進に関する法律施行規則

第37条

Ⅰ:法第29条第1項の情報処理技術者試験(以下「技術者試験」という。)の区分、科目並びに対象となる知識及び技能は、別表のとおりとする。

Ⅱ:技術者試験は、筆記試験又は電子計算機その他の機器を使用して行う試験により行うものとする。

別表(第37条関係)(一部抜粋)

試験の区分:基本情報技術者試験

試験の科目:

一 情報処理システムに係る業務に関する共通的基礎知識

二 情報処理システムの開発及び活用に関する共通的基礎知識

三 情報処理システムの開発及び活用に関する共通的基礎能力

試験の対象となる知識及び技能:情報処理システムの開発及び活用に必要な共通的基礎知識及び基礎技能

ふむ。

 

で、同じ法律に基づいて、独立行政法人情報処理推進機構(Information-technology Promotion Agency, Japan、略称: IPA)ってのが設置されていて。

実際にはそこが試験事務を行っているわけですね。

情報処理の促進に関する法律

第38条

独立行政法人情報処理推進機構の名称、目的、業務の範囲等に関する事項については、この章の定めるところによる。

第40条

独立行政法人情報処理推進機構(以下「機構」という。)は、プログラムの開発及び利用の促進、情報処理に関する安全性及び信頼性の確保、情報処理システムの高度利用の促進、情報処理サービス業等を営む者に対する助成並びに情報処理に関して必要な知識及び技能の向上に関する業務を行うことにより、情報処理の高度化を推進することを目的とする。

第51条

Ⅱ:機構は、前項の業務のほか、支援士試験事務、登録事務若しくは技術者試験事務(次条第2号において「試験事務等」という。)若しくは認定審査事務又はサイバーセキュリティ基本法第31条第1項(第1号に係る部分に限る。)の規定による事務を行う。

そのIPAのHP中、実施試験が一覧になっているページがこちら

上部にある表のうち、真ん中「情報処理技術者」の一番下にあるのが基本情報技術者試験ですね。黄色のとこ。

要は技術者試験のいちばん基本っすね。

Fundamental Information Technology Engineer Examination、略してFE試験、です。

受験動機

純粋に勉強のため、です。

よそ*4でちょっと情シス科目を齧る機会がありまして。それまで僕、ほんとーにこちら系疎かったんですが、勉強してみたらこれはこれで面白いな、と。

同時に、齧ると勉強の必要性を改めて痛感したんですよね。これ、基本すら知らんというのは思ってた以上にまずいんじゃないか?、と。

 

考えてみれば、システム開発契約の契約書チェックなんかは普通に取り扱ってましたし。ASP契約に絡んだ事件なんかも起案担当したし。

その場その場でいっしょうけんめい調べはしたけど、基礎だけでも体系的に仕入れたことがあるかどうかで全然違うのは否定できんな、と、勉強しながら振り返りつつ痛たたた…となり。

この際、ちゃんと知識を入れておこう、そのためにはちゃんと試験を受験するのが効率的かつ確実だ、と考えた次第です。

試験概要②

じゃ、具体的にどんな中身なのかというと…

 

 

 

今調べてびっくりしました。

来年の4月には、かなりの大変更があるんですね。

 

 

先にIPA発表の試験要綱をあげときましょう。

まず、来年4月からのやつがこちら

さっきはうっかりコレ↑を先に見て、「あれ…なんか俺の受けたやつと違くね…?」、となってました。

で、現行制度がこっち

以下、ざっと見てみます。また、適宜、上記2つの資料のスクショを貼り付けます。

 

いつあるのか

現行制度は年2回。僕は令和4年「下期」に受けた、ということになりますね。

IPA発表『試験要綱Ver.4.9』p17より引用

ただ、日程候補も会場候補もだいぶいっぱいあるので、限定されてるって感覚はあんまりなかったです*5*6

で、新制度だと、これが『随時』に変わるわけですね。文字通り、いつでもいいぜ、と。

IPA発表『試験要綱Ver.5.0』p17より引用

 

なお、画像にあるとおり、CBT形式です。パソコンスクールとかが実施会場になってるようで、僕が受けた場所は午前試験・午後試験両方ともそうでした(午前試験・午後試験については後述)。

出題形式とか〇次試験とか

出題形式は、選択問題です。これは現行・新制度/午前・午後試験共通です。上述のとおりCBT形式なので、マウスでカチカチやります。

他方、1次2次とかはないんですが、試験は、2つに大別されているというか2部構成というか。

現行試験は「午前試験・午後試験」って分け方です。

IPA発表『試験要綱Ver.4.9』p12より引用

他方、新制度では「科目A・科目B」って呼び方になるみたいですね。午前試験が科目A、午後試験が科目Bに対応。

IPA発表『試験要綱Ver.5.0』p12より引用



説明しますと:

  • 分け方としては、午前試験・科目Aは知識を問うて、午後試験・科目Bは運用能力を問う、みたいな感じ。後者については、実技試験を無理やり選択問題化したって言ってもいいかもしれない。上記の新制度の説明画像の右の欄では端的に、科目Aでは「知識を問う」、科目Bでは「技能を問う」って表現されてます。
  • なので、午後試験(科目B)の試験問題は長いです。これは同業者向けの説明になりますが、司法試験論文式試験の事例問題をイメージしてもらえばいいかもしれない。もちろんあんなに長くはないけど。大問(=1つの事例)に、いくつかの小問がぶら下がってます(小問のぶら下がり方は二回試験に近いかな。)。で、大問数は数問(現行の「午後問題」においては、解答する必要がある大問はたった5つ。)。*7それに対して午前問題=科目Aは、端的な問題文の知識問が何十問も出されます。
  • ちなみに「午前試験」「午後試験」っていう呼び方は、たぶん、CBTじゃなかった昔の名残だと思います。たぶん昔は試験日が決まってて*8、その日の午前に午前試験を、午後に午後試験を受けたんでしょうけど、今はそこは柔軟化されてます。午前試験と午後試験を別の日に受けることも可能ですし、午前試験を午後の時間帯に受けることも、午後試験を午前の時間帯に受けることも可能です。確か、午後試験から先に受けることもできたはず。なので、今回の変更中、科目名称の変更それ自体は、単に、名前を実態に合わせたってだけですね。

ただ、じゃあ名前だけの変更なのかというと、そんなことはないわけで。

一言で言えば、試験時間がコンパクトになってますね。午前試験150分→科目A90分、午後試験150分→科目B100分

なんでこんな変更を?

そもそも対象者像から変えるのだ、という話である模様。しらんけど。

IPA発表『試験要綱Ver.4.9』p3より引用

IPA発表『試験要綱Ver.5.0』p3より引用

 

現行制度:高度IT人材となるために必要な基本的知識・技能をもち、実戦的な活用能力を身に付けた者

新制度:ITを活用したサービス、製品、システム及びソフトウェアを作る人材に必要な基本的知識・技能をもち、実戦的な活用能力を身に付けた者

これからは、『高度』人材とまでは言えずとも良い、ITを『活用』できれば良いのだと。

よって、想定される業務と役割も少し拡大するのだと。

現行制度:需要者(企業経営、会社システム)が直面する課題に対して、情報技術を活用した戦略立案に参加する。

新制度:組織及び社会の課題に対する、ITを活用した戦略に立案、システムの企画・要件定義に参加する。

経営者のコンサルを受けるプロフェッショナル像から、より広く、「組織」の課題解決に貢献する社会人像へとモデルを転換するのだと。

戦略立案という上流過程から関与する者のみならず、システムの企画、さらには要件定義という下流過程にのみ参加する者も含めて考えるのだと。

 

ITの普及、身近な各種ツールの登場に伴い、開発者プロパー試験という位置づけを見直し、間口を広げるのだと。

そのために、より受験しやすい試験に変えるのだと。通年受験可能にして、試験時間も短縮するのだと。

 

 

 

 

ふう。疲れたので、午前試験・午後試験の具体的内容とか僕の雑感とかはまた後日。

 

 

…あ。ただ、より受験しやすい試験に、ということだけれども、気になるお値段のほうはどうなるんすかね?

ちなみに現行は。

 

¥7,500。*9

 

 

 

 

 

*1:というか、ほとんど。かといって暇だったわけでもなく、日々「ああああぁぁぁ…」という感じでした。

*2:正直思い出したくない…あああああ事例Ⅳ………

*3:ほんとはこういうのって勉強と並行して書いた方が明らかに記録性が高まるわけですけど、自分、ダメです。できない。単純に時間の使い方がヘタっぴでバッファを作り出せないってのもあるし、書いてるうちに自意識系雑念煩悩が溢れてまとまらなくなりそう…って思うと書く気も端から出てこないってのもある。

*4:冒頭の別の試験の1次の勉強。

*5:ただ、「候補」自体がいっぱいあることと、実際受験可能かどうかは別の話。どういうことかというと、これ、IPAの予約ページから日程・会場を選ぶわけですけど、かなり先の日程まで埋まってしまってるんですよね。東京ですらそうです。後述のとおりCBT形式だから、たぶん、同じ日程・同じ会場でも、基本情報を受ける人もいれば応用情報の人、他の試験の人もいるってことじゃないかな、と思います。

*6:2023年1月20日追記:上記注内容を訂正します。応用情報はまだCBTじゃないから、基本情報と同じ会場には受験者の方はいないはずですね。(…そうすると午前試験受けたときにいらしたあの威勢のいいツーブロック集団、あの方々も皆さん基本情報だったのかしら。

*7:ただ、以上の問題のボリューム感に関しては、科目Bには当てはまらないのかもしれない。問題数が20問に増えているので。あくまでイメージということでご了解ください。

*8:2023年1月1日追記:4月と10月の第3日曜日だったらしい。

*9:2023年1月20日追記:新制度でも変わらんみたいですね。

【映画】空の青さを知る人よ

(約2800字です。)

 

2019年10月に公開されたアニメ映画。2年半ちょっとぶりに見た。

少しだけ個人的な話を。これが公開された当時,僕は弁護士1年目で,今後の方向性についてものすごく悩んでいた中でこれを見た。というか最初の事務所を辞める超直前だか辞めた超直後だかに見た。
何というか,自我未確立の中高時代に経験したことって,いわば自我の鎧なしに心に刻まれる感じで,鮮明に覚えてたりするじゃないですか。良くも悪くも。
この映画は僕にとって,それに少し近い。
「ああ,俺、フラついてる時にこれ見たなぁ…」という感情がまず襲ってくる。

 

 

 

冒頭をちょっとだけ

主人公・相生あおい(高校三年生)が放課後,橋の上でイヤホンを嵌めてベースを練習しているシーンから始まる。
「私は,探している。ずっと,探している。」というあおいのモノローグとともに,いくつかのカットを挟み,場面は13年前の過去へ。あおいが当時高校三年生の姉,あかねと一緒に,あかねの交際相手の金室慎之介のバンドの演奏を見ていたシーン。二人の両親が亡くなり,あかねが進学を諦め,東京に出る慎之介に,地元で就職することを告げるシーン。
場面は現在に戻り,あおいを迎えに来たあかねが車のクラクションを鳴らし,あおいが演奏を切り上げる。
たとえ遠くとも,どんな夢も叶う場所を探している―あおいのモノローグが終わり,物語が始まる。

あおいは卒業後,東京で音楽をやって生きていこうと決めている。同級生とは距離を置いているが,あかねには心を開いている。
ただ,自分とは対照的に,自分を育ててくれたあかねは市役所に就職しており,地域の誰もに慕われている。あおいの中には,あかね本人に対する不満はなくとも,反発に近い感情があった。
市役所で町おこしの音楽フェスティバルが企画されているある日,近所のお寺のお堂でベースを弾いていたあおいの前に突然,13年前の慎之介(しんの)としか思えない少年が現れる。
同日,企画の目玉として招かれた大物演歌歌手,新渡戸団吉が訪市するが,その横には,バックバンドとしてギターを演奏する31歳の慎之介の姿があった。

夢を追っていた高校生当時のままのしんの。その背中を追ってベースを始めたあおい。
あおいを育てつつ,明るさを失わないあかね。暗くすさみ,人が変わってしまった慎之介。

あかねは市役所職員として企画のヘルプに駆り出され,あおいは,病気でダウンした新渡戸バックバンドメンバーの代打を務めることになる。
そして,望まぬ帰郷を果たした慎之介。三人にとって,自身の感情と向き合う日々が始まる。

 

 

雑感(全体)

見た後で知ったのだが,この作品は,
・『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(通称:あの花,あのはな)
・『心が叫びたがってるんだ。』(通称:ここさけ)
とともに"秩父三部作"とされているらしい。で,秩父という土地柄や,生まれ育った土地に対する閉塞感みたいなものに焦点を当てて見ることもできる。
これは映画のタイトルからも裏付けられる。
井の中の蛙,大海を知らず,けれど空の青さを知る」。あかねは高校卒業時,卒業アルバムにそう書いた。
しんのと東京に行く未来でなく,あおいを育てて秩父に残る選択をしたことを反映しているわけで,東京と秩父(故郷)が対になっているのは間違いない。*1

 

けど,個人的には,土地云々は単なる表層的なコードなんじゃないかなぁ,という気がする。
あかねの選択にしたところで,「東京か秩父か」というよりも「しんのかあおいか」という二択で言われた方がしっくり来る。
しんのだって,別に秩父が嫌いで東京に出てったわけじゃない。あおいだって,閉じ込められているのは秩父の土地柄だの田舎の閉鎖性だのじゃなくて,あかねへの負い目だろう。
本作のテーマは,各々自分の生き方を改めて選択する上で,身近な人への思いとどう決着をつけたのか,だと思う。

 

要するに,「一人一人が決着をつける映画」である(と思う)。この作品,僕はそこが好きですね。あくまで個として葛藤と対峙するところが。
そして,ハッピーエンドで終わってくれるところもいい。
この映画は,「私は探している」というあおいのモノローグで始まり,
「あー…空,くっそ青い」
というあおいのモノローグで終わる。
あおいは,自分から恋を終わらせる道を選ぶことで,自分の中のあかねから自由になる。
慎之介は,13年前の自分と対決して,かつて故郷で見た夢に縛られていた自分自身から自由になる。
あかねも,少しだけ,今までより自由になる。おにぎりの具が変わり,しんののことで人知れず涙をこぼさずに済む程度には。*2
三人が揃って,空の青さを取り戻すことができたラストで,凛としてて,とても清々しい。*3

 

そして。

  • 秩父の景色,めちゃくちゃ綺麗。まだ行ったことないんですが,行ってみたいなぁ…。
  • あいみょんの歌もいい。同タイトル曲も「葵」も,僕は好きである。

 

 

『井の中の正月の感想』

ところで上記
井の中の蛙,大海を知らず,けれど空の青さを知る。」
というフレーズ,別にこの映画で発明されたわけではなく,もともと流布しているもののようですね。僕は知りませんでしたが。
この点をいろいろ辿ってみると,北條民雄さんという作家の方がハンセン病で隔離されていた時に書いた「井の中の正月の感想」という作品の中で,

「かつて大海の魚であつた私も,今はなんと井戸の中をごそごそと這ひまはるあはれ一匹の蛙とは成り果てた。とはいへ井の中に住むが故に,深夜冲天にかかる星座の美しさを見た。
 大海に住むが故に大海を知つたと自信する魚にこの星座の美しさが判るか,深海の魚類は自己を取り巻く海水をすら意識せぬであらう。況や――。」

と書いたのがルーツではないか,というご見識に接しました。
鮮烈壮絶な迸りである。

*1:いや東京と秩父,近いやん…とも思われるかもしれないが,距離は,たぶん関係ない。僕は司法修習の1年間を宇都宮で過ごしたが,あれから3年半経ち,そうそう無邪気にも帰れなくなった自分がいる。宇都宮のことは今でも大好きなだけに,自分自身,かなり困惑している。『続・くだらない唄』(Bump of Chicken)の歌詞が20年越しに刺さる。

*2:あかねの葛藤の描き方はちょっと抑制しすぎじゃないかなぁとも思うが,こうしないと逆にあおいが嫌なやつになっちゃうだろうし,難しいところなんだろうなぁ。

*3:僕個人は年齢・立場・性別どれをとっても慎之介に感情移入して見てしまうのだけれど,ちょっとこの映画,慎之介に優しすぎるくらいである。結局,夢を追って一歩を踏み出したこと自体はしんのも肯定するわけだし,しんのが化体していたのであろうギターが壊れてしまうシーンをハイライトとして持ってくるんだから。(クズな側面も,いったん書かれつつも後からフォローが入るし。)

【小説】×4:幻想即興曲(西澤保彦さん),いつかの岸辺に跳ねていく(加納朋子さん),七人の敵がいる(加納朋子さん),下戸は勘定に入れません(西澤保彦さん)

字数約3000字,読了目安約3分半です(追記箇所を除く)。

この一週間くらいで立て続けに読んだので,ダダダッとまとめて記録することにします。とりあえず。
以下,読了順。

 

 

幻想即興曲 響季姉妹探偵 ショパン

ファンのくせに読み漏れている作品がそこそこあるので,気が向いた折に埋めにかかっている。

プロローグ的位置付けの『ポロネーズⅠ』を読み,目次を見返し,
「この百合的雰囲気と全体構成は『スコッチ・ゲーム』の再来っぽいなー」
「小説がモチーフなとこから滲み出る『幻視時代』感…」
と思ってたら2つともそこそこ当たった 嬉
長廻玲嬢にも再び会えるとは。

 

ミンツじゃないユリアンなる人物を初めて知りました。
ユリアン・フォンタナショパンの作品の校訂者・出版者であり,『幻想即興曲』をショパンの遺言に反して世に出した人。
出版社に勤める編集者・響季智香子の手元には,その『幻想即興曲』と同様,作者に「処分してくれ」と頼まれた原稿があった。それは,作者がかつて巻き込まれた実体験をもとにしたミステリ小説。冒頭において,真相は作中の解決とは別のところにあること,しかしそれとは別に,その作品は作者にとって命にも比肩し得る大切なものであることが明かされる。
作者がかつて巻き込まれた事件とは何か。作者はなぜ,作品を封印しようとしているのか。作品は,誰の人生を,どのように変えたのか。
…というような謎が,ショパンの『幻想即興曲』と絡みながら解きほぐされていく小説です。

 

ぶっちゃけ,最初の事件の犯人は早めに察しがつく(ただし途中で「んん?あれ?」とはなる。)。むしろその後の展開とか,その裏側にあった登場人物の思惑が今度は明らかになっていく展開とかが,
「ああ,西澤先生の小説だなぁ」
という感じで,僕は好きである。三人の女性の凛とした筋の通し方が,良い。
それと,神様に能力をお返しする…という一言でとても済ませることができない喪失感。
思わず水柱風に「わかるよ」と内心呟いてしまった。*1

 

 

いつかの岸辺に跳ねていく

加納朋子先生初体験,とりあえず近時の作品から入ってみた。

こういうのですよ。
こういうの期待してこの本を手に取ったんすよ僕は。
最後のはウルッときた。××の話を,まさかそういう感じで回収するとは…。

 

幼馴染,森野護と平石徹子のお話。構成的には『フラット』『レリーフ』の2章から成る。『フラット』が護視点から描かれ,気になるところでブツッと話が途切れる。そして,『レリーフ』が徹子視点から描かれ,全てを回収する。
2章とも,話は少年少女時代から始まる。
徹子は不思議な子であり,生真面目で優秀,おとなしいわりに,時々突飛な行動に出る。護編(『フラット』)の高校生時代には,護も既に「明らかに徹子は何かを隠している」と気づいている。ただ,護は同時に,「あいつがそれを口にしない以上,俺も無理に聞く気はない」というスタンスで,「見守り,頼まれれば,時にアシストする」(文庫版p87)。
隠していることの方向性は読者的にはほぼすぐに察せられるが,それが何でその行動に繋がんの?という個々の委細は分からない。そのあたりが徹子編(『レリーフ』)で明らかになる。
けっこうしんどい話である。
「…え?これ,どうなんの?」という感じになるのが,最後,キレイにストン!と決まる。

 

『登場人物の心理の動きを知った上で後から読み直すと,登場人物の言動の解釈が全然違ってくる』みたいな仕込みが,この小説にも一か所ある。
僕も途中で「えっ?」と思って該当ページを読み直したが,「そこでソレにとどまるあたりが,お前は護だなぁ…って感じだなぁ」と思うなどした。

 

たいへんディープなことを言うと,主人公の意図が同方向の作品どうし,『七回死んだ男』とテイストを比較すると多少おもろい。
程度の差はあれ多少軽めな書き方は共通するが,あっちは笑いで突き抜ける方向に行ったのに対して,こっちは,実生活的に実のある含蓄でちゃんとまとめて来たなぁ,という感じ。
p315の徹子一人称の地の文,いいっすね,こういうの。

 

 

七人の敵がいる

加納先生二冊目である。

…この本,ちょっと前にPTAのあり方の問題点とかクローズアップされた時,もしかして取り上げられたりしたっけ?気のせい?
内容的にはそんな感じの本である。

章立てを見て思わず笑ってしまって手に取ったのだが,ぶっちゃけ僕,第1章のわりと最初めのところで気分悪くなって,一瞬,読むのやめようかなと思った。
テンポよく話が進むのでそんな僕でも読めましたが,ある意味,弁護士って職業とは相性ゼロの世界の話であるとも言える。*2
山田(旧姓小原)陽子なるバリバリのワーママさんの,いわゆる奮闘記。改めてオカンに感謝したくなる本でもある。

 

女性社会のアレな部分の描写について「うわぁ…」となるのはもちろんなのだが,この小説は返す刀で男社会のアレな部分も斬られておって,そして,そういう箇所の記述に共感しかない。
西澤先生しかり,横山秀夫さんしかり,僕,男のキタナさ暴きまくる系作者の作品はそこそこいっぱい読んでますが,男性作者の場合,そういう側面について,ある意味,掘り下げすぎるんですよね。多分,同性だけに。
身も蓋もなくバッサリ斬っちまう表現の方が読む側の精神衛生上かえって良い側面もあるな,などと思った次第。

 

 

下戸は勘定に入れません

主人公同一の4篇を収めた短編集である。
おほっ,これも鵜久森シリーズでしたか。*3

 

超能力×ホワイダニット
西澤先生作品には「超能力ルールをミステリの設定に持ち込んだ」類型ってのがあり,本作はそれを「日常の謎」に転用した感じ。殺人事件は起きません。
主人公,古徳(ふるとく。准教授,50歳,バツイチ)は,誰かとお酒を飲むと,同じ相手と同じ日付・同じ曜日・同じお酒を飲んでいた過去の日にタイムスリップできる,という設定。「できる」というか,起こる時は勝手にタイムスリップが起こる。自分の意思ではできない。

4篇を収めた短編集と書いたが,この4篇の『現在編』は,2010年12月26日から同月31日の間に連続して起こる。その度,古徳曰く「それほどたくさん体験してもいない」はずのタイムスリップが起こる。しかも全篇,古徳か,古徳の身近な人物の過去・謎が絡む。
「娘の本当の父親は誰か」「誰が,どうして自殺したのか」「母親はどうやって未来を知ったのか」*4「あのときの別れに,どんな裏話があったのか」。
滅茶苦茶な酒量だし滅茶苦茶な濃度の6日間である。

 

個人的には2篇め『もしくは尾行してきた転落者の謎』が好き。4篇中いちばん独立性が高い小品であり,とある癖(へき),というか願望を抱える古徳ならではの推理,という感じの一篇である。
そこで主目的とついでを逆転させるか…
こういう凄みのあるアクロバットを決められる人はこの世に西澤先生しかいないんじゃあるまいか。

 

 

 

*1:その他,「小説の内容に関して,当該小説の書かれ方がある意味トリックになっている」という仕掛けが,個人的に興趣をそそられる。

*2:実際のところそんなことはなく,どこの世界でも部分社会の王にロクな奴はゲフンゲフン

*3:『幻視時代』ほか。なお,上述の長廻嬢も再びチラッと登場。

*4:これ,ほんと,よくこんな仕掛け思いつくよな…という感想。

【小説】幽霊たち(西澤保彦さん)

字数約1400字,読了目安2分弱です(追記箇所を除く)。

 

 

『彼女はもういない』(文庫版タイトル:『狂う』)で初めて読んで,『依存』ショック以来大好きな西澤保彦さん。*1
これまで読んだ作品のレビューなどもおいおい書けるといいな。大量にあるけど。

 

 

冒頭をちょっとだけ

2018年。病床の身の横江継実(よこえ・つぐみ)のもとを刑事が訪れ,殺人事件の被疑者が,継実の名を出したことを告げる。被疑者の名は加形野歩佳志(かなた・のぶよし)で,亡くなったのは多治見康祐(たじみ・こうすけ)。加形は,自分の犯行の動機を知りたければ,横江継実に訊いて欲しいと述べたという。
継実は加形と面識はない。ただ,加形の父・広信はかつて継実の親戚であり,多治見康祐とともに継実の同級生であった。
当時,継実と広信の家族は,広大な敷地を持つ岩楯家で暮らしていた。そこは,継実の継母・沙織が風呂場で溺死し,数年の時を挟み,沙織の弟・幸生が銃撃事件の果てに自殺したとされる場所でもあった。40年前の事件と現代の事件は関係するのか。
物語は過去に遡行し,継実,そして継実にだけ見えるという幽霊,里沙の視点から,かつての事件が語られる。

 

 

雑感(全体)

最初に

まず…この終わり方は,一ファン的に首を垂れざるを得ない。
改めてこの場をお借りし,お悔やみを申し上げたいと思う。

 

仕掛け

綺麗に決まった作品だと思う。

 

驚きは,273ページあたり*2からやってきた。
確かに振り返れば伏線は色々あった*3が,自分は気づけませんですこれは。
読み進めつつも,「ん?」と思うところは若干あった。里沙が「ツグミンが知っている以上のことは,なにも知らない」(49ページ)と言いつつ,過去パートでの描写で視点がズレてたりとか。沙織さんたちが継実といっしょに長く過ごしてたっぽい描写とか。ただ,前者は単純に訳が分からなかったし,後者は継実の自己欺瞞的な記憶の封印かと思ってました。
西澤さんの作品,ヒントの先にある真相が,主観/認知の歪みを利用したアクロバットを決めた形になってるから(我ながらよく分からない表現だ),辿り着けたためしがない。

自己認識が崩れ去るって本当に怖いけど,本書のそれは例外であり軟着陸に近く,西澤先生の他作品とは違う。どうしようもない自己欺瞞の成れの果てではないので*4
ただ,ラストで,外在化された自分が消えて,内在化されなかった他者の不在が残る。
美しい終わり方だと思うけれども,一切皆苦という感じである。
辛い。

 

系譜

超常的な出来事で人を懺悔させよう的なところは幻視時代ふうだなぁとか(『幽霊』というネタも含めて),
過去と現在を行き来する構成・地雷が脈動を再開するきっかけの意外さ・過去編の結構な凄惨さあたりの雰囲気は収穫祭に似てるなぁとか,
共同幻想の崩壊ってテーマは神のロジックだなぁとか,
『子どもを殺す』というアレ(依存)とか現代編の事件のタネの●●殺人(身代わり)とかタックタカチじゃん,沙織と乃里子は無間呪縛も入っておる(まぁこれはそれに限られないか),奴の動機はスコッチゲームのアレに近いもんがあるなぁとか,

ファン的にはそういう楽しみ方ができるのも嬉しいすね。

 

古我知学園?そういえばそれ,彼女はもういないじゃないすか。

 

 

 

*1:こないだ思い付きで日記の記載を整理したら2012年のことだった。もう9年経つんだなぁ…。

*2:ハードカバー版,以下同じ。

*3:読み返していて気づいたのだが,p44の自己ツッコミ的な慰めも,これは伏線だよな?こんなん気づけるわけあるか 笑

*4:ただし,最終的なオチの部分がそうであるだけで,他の箇所では,読んでるだけで居心地が悪くなる(俺だけ?違うよね?)表現ぶりは相変わらず健在である。「生涯,非凡かつエキセントリックな偉才なるセルフイメージの脚本と演出に腐心した人間だったのではあるまいか。」(p54)等,別に僕が言われてるわけでもないのに泣くか死ぬかしたくなる感じである。